書評・紹介欄

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日本人英語初学者のための基本動詞選定に関する研究

(「英語教育」Voi.64-1 通巻529号 書評 開隆堂出版株式会社 2012年2月20日)

<評者>東京富士大学講師 星野由子

 本書は日本人英語初学者のための、基本動詞リストを選定する過程について書かれたもので、著者が提出した博士論文に基づいたものである。著者は、日本人英語学習者にとって必須である知識は「形(音声)とそれがあらわす意味の関係と共に、動詞がどのような文を生成するか」と考え、動詞の基本構造(例:動詞が直接目的語のみを必要する、直接目的語と間接目的語の両方を 必要とする、など)に基づいた動詞リストを作成している。本文中にはこのリスト作成過程を記述するための例がふんだんに記載されており、また巻末には動詞の型別に分けた、頻度付きの動詞リストも載せられている。ただし、この動詞リストには一見基本動詞とは思えないような頻度の低い動詞も多く掲載されている。この問題点は、動詞リストを作成する際に基としたコーパスがイギリス英語100万語から成るものであり、日本人英語学習者にとっては 難解な表現が多く含まれているために生じたと考えられる。日本人英語初学者を対象としたリストを作成したのであれば、このコーパスに依拠した理由が述べられているべきであろう。また、このように頻度の低い動詞が多く含まれたリストとなっているが、どの動詞を基本動詞として見なすべきかという基準が明確にされていない。そのため、本書のタイトルにもある「日本人英語初学者」にとって本当に必須の動詞はどれなのかが明記されていると、巻末の動詞リストを 更に効果的に活用することができると考えられる。また、他のリストでも同様ではあるが、このリストに提示されている語をどのように指導に生かしていくべきかという具体的な方法は本書には記載されていないため、語を学習者にどのように提示していくべきなのかは読者に委ねられているだろう。

戦時司法の諸相

(『自由と主義』2012年 Vol.63 No.3[3月号]BOOK REVIEW 日本弁護士連合会)

<評者>東京弁護士会会員 才口千晴

 幻の判決と言われた「翼賛選挙無効判決」の純粋学術書であり、法曹として味読してほしい、戦時下に言い渡された画期的判決の全貌である。 今や“翼賛”の言葉はなじみが薄く、また“翼賛選挙”の実態もほとんど知られていない。
 第二次世界大戦下の1942年4月、東條英機内閣の主導で実施された第21回衆議院議員の総選挙は、翼賛政治体制協議会による候補者推薦制度を導入し、定数466人中、推薦候補者が381名当選した。鹿児島県第二区では、非推薦候補者が全員落選し、そのうち4名が大審院に選挙無効訴訟を提起し、第3民事部に係属した。これを担当した裁判長吉田久ら5名の判事は、危険も顧みず鹿児島に出張し、200名近い証人調べを行い、 特高警察や憲兵隊の監視を受けながら、また、1944年2月28日、総理官邸において開催された臨時司法長官会同において、東條首相は、列席の司法官らに対し、「戦争遂行に重大な障害を与える職務に対しては非常措置を執らざるを得ない」旨の恫喝的な訓示を行った。このような状況の中にあって、吉田判事は、1945年3月1日、「もう、帰ってこられないかもしれない」と家族に言い残し、本案につき選挙の自由と公正が没却されたものと明断して無効判決を言い渡した。
 吉田判事は、判決言渡しの4日後に辞表を提出し、静かに司法部を去った。判決直後の3月10日に大審院が東京大空襲によって全焼し、訴訟記録も失われたとされ、この無効判決はどの判例集にも未登載であるため、久しく「幻の判決」と言われて来た。
 評者は、母校で吉田判事から『日本民法論』の講義を受け、また、無効判決の訴訟代理人所龍璽弁護士は弁護士会で所属していた派閥の創立者の1人であったことから、判事在任中から「幻の判決」の在り処などについて少なからず興味を懐いていた。著者の1人である清永聡氏とは、司法記者時代に面識があり、同氏の「気骨の判決―東條英機と闘った裁判官」(新潮新書・2008年8月刊)は、司法権の独立の珠玉の著者として感動を呼び、 最近もテレビ・ドラマで放映されるなど話題をまいている。
 この度、同氏は、本件無効判決と司法権の独立に造詣が深く、多くの論文を物している矢沢久純教授との共同執筆で、現在、国立公文書館つくば分館に所蔵されている「幻の判決」の原本全文(約2万字)等から可能な限り正確な記録を後世に残したいとの熱意で本学術書を刊行された。 〈以下略〉
(元最高裁判所判事)


(『中央大学学員時報』第475号」書評 2012年1月25日(水))

<評者>中央大学名誉教授 眞田芳憲

矢澤久純・清永聡著『戦時司法の諸相 翼賛選挙無効判決と司法権の独立』を読む―吉田久先生を偲ぶの記―
 中央大学は、英吉利法律学校創設以来、日本の司法界を代表する数多くの法曹を輩出してきた。とりわけ、わが国の司法権の独立の歴史に金字塔ともいうべき不滅の足跡を残した大審院部長判事、中央大学教授吉田久先生の存在は、「司法権の独立」が問われるとき常に語り継がれていくべきものであり、事実また語り継がれていかねばならない。
 昭和17年4月30日、東条英機内閣のもとで衆議院議員選挙が実施された。この選挙は、国家権力が朝野各種の組織を動員して選挙干渉・妨害をほしいままにした、いわゆる翼賛選挙であった。吉田先生は、大審院において裁判長として、鹿児島県2区衆議院議員選挙について、昭和20年3月1日、これを無効とする画期的な判決をいい渡した。この判決は当時、大東亜戦争完遂という戦時体制下の言論統制もあって、当局の意向を意識してか、大きく報道されることはなかった。
 この吉田判決があらためて社会の注目を浴びるのは、司法権に対する裁判所内外からの介入によって「司法権の危機」叫ばれるようになった昭和30年代に入ってからであった。
 まず、『サンデー毎日』(昭和33年5月特別号)で取り上げられ、続いて翌34年、KRテレビ(現TBS)でドラマ「大審院――ある裁判官の記録」が放送された。このドラマのシナリオの一部は、同年の「法学セミナー」に、さらに、昭和40年10月の『朝日ジャーナル』でも取り上げられ、「極めて勇気に富んだ名判決」と評価された。
 私自身も、昭和36年から37年にかけて、当時、中央大学大学院長を務めておられた吉田先生のもとで民法演習の指導をいただいた。私たちは、大審院時代の吉田先生の業績を知り、先生の講筵に列することを誇りとしたものであった。
  「司法権の独立」というと、講学上、明治24年の大津事件における児島惟謙の大審院判決が象徴的に論じられるのが一般的である。確かに、大審院長児島惟謙は時の松方内閣の政治的圧力に屈せず、裁判所の独立を守った点では高く評価される。他面、大審院長の職を利して担当裁判官を説得したこと自体、裁判官の職権の独立を侵害するものであって、児島判決は司法権の独立を完全に護持するものとはいえなかったのである。
 「司法権の独立」は、いうまでもなく、近代憲法の基本原則の一つである。これを論じる場合、4つの側面から光を当てねばならない。すなわち、(1)裁判所の立法府・行政府等の他機関からの独立、(2)裁判官の他機関からの独立、(3)裁判官の裁判所内部における独立、(4)国民(の裁判批判)からの独立である。
 大津事件の児島判決は、(3)の要件を欠くものであった。他方、鹿児島2区衆議院議員選挙無効訴訟の吉田判決では、吉田裁判長の他の陪席裁判官に対する説得工作は全く見当たらず、以上の4つの要件をすべて満たすものであった。その意味で、吉田判決は「司法権の独立」の護持という点では大津事件の判決に勝るとも劣らない、否、それ以上の価値を有する、大審院史上画期的な、まさしく「金字塔」ともいうべき判決であった。
 しかし、これまで法律専門家による吉田判決の本格的研究は、本書の共著者の一人である矢澤久純氏の論文以外は絶無といっても過言ではなかった。それだけに、本書の公刊は、わが国の「司法権の独立」研究史において画期的な寄与をなすものであって、その学問的貢献は極めて大きいものがある。
 本書は、『戦時司法の諸相 翼賛選挙無効判決と司法権の独立』という著書名を見る限り、極めて難解で、高度の専門学術書という印象を与えるかもしれない。確かに、本書は高度の専門学術書である。しかし、本書には専門学術書にありがちな硬質かつ難解な面はなく、どちらかといえば高度の専門性を保持しつつも、いわゆるルポルタージュが具備する平易性を持ち合わせている。
 それは本書が矢澤氏と清永氏の「完全な共著」である点にある。矢澤氏(平成13年中央大学大学院法学研究科博士課程修了、法学博士、現在、北九州市立大学法学部教授)は緻密にして精確性と論理性を重んずる、滋味豊な民法学者で、吉田判決についてはすでに5点の学術論文を公にしている学究である。清永氏(平成5年広島大学卒業、現在NHK記者)は事件の持つ時代性と真実性を透徹した眼で追求するジャーナリストとして知られ、氏もまた『気骨の判決 東条英機と闘った裁判官』(新潮社・平成20年、本書の紹介はすでに『中央大学学員時報』平成20年11月号・21年7月号にある)を世に問うた篤学の士である。
 本書から学ぶべきものは実に多い。しかし、ここではただ一つのみ指摘するにとどめる。大審院で長崎(1区)・福島(2区)・鹿児島(1区・2区・3区)での選挙無効訴訟が実質審理されたのは、長崎1区と福島2区、そして吉田裁判長が担当した鹿児島2区(大審院第三民事部が担当)であった。そのうち、選挙無効の判決がいい渡されたのは鹿児島2区のみであった(鹿児島1区と3区については判決文は存在しない)。全く同種の事件でありながら、ほぼ同時期に審理が進められた大審院(長崎1区・福島2区については大審院第二民事部)で、勿論、事実認定の問題が残るにしても、まったく異なる判決が下されるとは、何を意味するのか。
 本書は、厳密かつ精細な資料の裏付けのもとで、無効判決を下した大審院第三民事部の吉田裁判長をはじめとする他の4人の陪席裁判官の、職務に殉じる気概に生きた人間像に迫る。そこには、法律学に生きる者にとって襟を正さざるを得ない凛然とした裁判官像が描き出されている。
 裁判長として無効判決をいい渡した4日後、吉田久大審院判事は辞表を提出して静かに司法部を去った。しかし、それは形のうえであって、実際は、「吉田は事実上、自発的に退職せざる得ない雰囲気が当時の大審院内に醸成されていたと考えるべきであろう」(159ページ)と、本書は論証する。
 吉田裁判官は、確かに、静かに司法部を去った。しかし、他方、鹿児島県の翼賛選挙に熾烈な選挙妨害と干渉等の指揮を執った県知事薄田美朝は、その功績により警視総監となって東条内閣を支え、戦後、衆議院議員を通算3期務めている。また、選挙当時、鹿児島県特高課長として辣腕を振るった原文兵衛も、戦後、警視総監となり、その後、国会議員に転じて参議院議長にまでなっている。
 戦後、裁判官で公職追放された者は一人もいない。司法の面で戦後、活躍するのは、大東亜戦争完遂の目的にそって戦争協力を唱えた人たちであった。昭和19年2月28日、総理官邸において開催された臨時司法長官合同の場で東条総理から恫喝的訓辞を受けた司法部高官の4名は、戦後、最高裁判所の初代の裁判官に任命されている。
 そもそも責任とは何か。戦争協力を推進した司法官僚の政治的・道義的責任とは何か。今日、わが国の各界各層において倫理の空洞化や責任の真空化が問われている。本書が強調する「司法における戦中 ・戦後の連続性(244ページ)は、まさしく司法官僚の戦争責任の欠如を如実に示すもの以外の何物でもない。
 そこに突きつけられた課題は、現在に生きる私たちにとっても、はたまた後世の人びとにとっても重い。それだけに、裁判官としての、はたまた人間としての責任、そして矜持と勇気に生きた吉田久裁判長等の無効判決の歴史的意義は私たちに希望と勇気を与えるものである。
 本書には、120ページを超える資料と資料解題が付されている。それは、吉田判決について可能な限り正確かつ完全な記録を後世に残し、この無効判決の歴史的意義を歴史のページに刻み込むという著者たちの熱き、そして同時に冷徹な思索の軌跡以外の何物でもない。資料作成にいたる著者と若き協力者たちの努力に心から敬意を表したい。